投稿記事(blog)

御坂山塊、毛無山から十二ヶ岳~鬼ヶ岳へ

梅雨の晴れ間を見つけ、6月29日(土曜日)に御坂山塊の毛無山~鬼ヶ岳を縦走してきました。もちろん、世界遺産に登録され話題が沸騰している富士を眺めながら、登山を楽しもうとの魂胆であったが・・・、残念がら生憎の曇り空。とうとう一度も富士山の全貌を見ることは出来ませんでした。

土曜日と云うのに山は静かで、毛無山~十二ヶ岳で3人、金山~節刀ヶ岳で1人に出会っただけであった。もうお一方、鍵掛峠ではマウンテンバイクを担いだ同年輩くらいのスーパーマンに出会った。休憩を取ることもなく、マウンテンバイクを肩に担いだまま、あっと言う間に根場民宿へと下っていってしまった。 実に良い刺激を貰ったように思う・・・・。

文化洞トンネル脇の登山口、駐車スペースは十分にある。6:30分に出発する。
  歩き始めて直に出会った[タマゴ茸]、意外や・・・、このキノコ食べられるそうな・・・。フランス料理、イタリア料理では高級茸としてよく使われているそうです。
  毛無山山頂から見る河口湖。遠く山中湖と箱根連山もみえる。残念ながら富士山は厚い雲に覆われ、裾野しか見えない・・・。
  四ヶ岳への登りから望む十二ヶ岳。ここからみる十二ヶ岳はシンメトリックな美しい山容をしている。十二ヶ岳まではまだ9ピークを越えて行く、アップダウンの多いコースだ・・・!
  富士の山頂が僅かに顔を見せる・・・。四ヶ岳山頂にて。 
十一ヶ岳と十二ヶ岳の鞍部に架かるつり橋を渡る山下さん。歩み板はアルミ製だが吊りワイヤーのたるみが以前に較べ益々ひどくなってきたようだ。
山下さんに続き、鈴木さんも慎重に通過する。さぁここからが、いよいよ本番ですよぉ~・・・!
吊り橋を渡ると、直ぐに十二ヶ岳の急な登りが始まる。至る所に太いロープが張られ、鎖場もある。まるで「岩稜研修」のお復習いのようだ・・・!
十二ヶ岳山頂で一息つくメンバー。 9:50眼下には西湖が拡がり、涼しい風が吹き、実に気持ちが良い!「健康と山の安全」を祈念する。“お賽銭も忘れずにネ・・・”
山頂から直下に拡がる西湖をみる。西湖の後方に見える丸い小さな山は大室山。樹海のただ中であるためか存在感のある山だ!
十二ヶ岳からの下り、登りも厳しかったが、下りも厄介だ!ロープが太すぎて力が入らないし、思うよな姿勢も取れず、かなりの苦闘を強いられた・・・。
金山への登り返しも、十二ヶ岳への登りと負けず劣らず厳しい・・・!鉄梯子が無かった頃はどうやって登っていたのだろうか・・・?
  金山への登りからみる「鬼ヶ岳」、写真では厳しい山容が表現できていない・・・。浸食作用により、いく筋もの露岩が帯状に走り、険しい地形を形成している。「鬼の角」もその一つであろう。
  金山まではあと僅か・・・!ようやく厳しい登りも終わり、ホッと一息。でも金山~節刀ヶ岳~鬼ヶ岳と、まだまだ先は長い・・・。
  11:00に金山山頂に着く。ここは十二ヶ岳・節刀ヶ岳・鬼ヶ岳の分岐点だ。山頂は平べったく、樹林に囲まれ視界はない。
鬼ヶ岳山頂から、鍵掛峠~王岳を望む。標高1,738mを示す可愛らしい手作りの標識が掲げてあった! ここから鍵掛峠までは、まだいくつものアップダウンがある。気持ちを引き締め、13:00 山頂を後にした・・・。
 

文化洞トンネルの登山口から毛無山~十二ヶ岳~金山~節刀ヶ岳~鬼ヶ岳~鍵掛峠~根場の民宿までのコースは距離こそ10.5km程度であるが、実質6時間半余りを要した。厳しい岩場の登り下りが多く、それらの個所を通過するのにかなりの時間を費やしたことになる。パーティーの人数が多ければもっと時間はかかるだろう。 このコースはちょっとした岩登りの経験と、アップダウンに耐えられる体力が必要とは思いますが、富士山を終日眺めながら歩ける素晴らしいコースだと思います。 みなさんも是非挑戦してみて下さい・・・!

コースタイム                                       八王子5:00⇒高尾山IC⇒⇒河口湖⇒6:20文化洞トンネルP6:30→8:00毛無山8: 10→8:50八ヶ岳→9:50十二ヶ岳10:10→10:55金山11:05→11:20節刀ヶ岳(昼食)→12:00→12:40鬼ヶ岳13:00→ 13:40→13:40鍵掛峠14:00→15:05根場民宿15:40⇒(レトロバス)⇒文化洞トンネル16:00 ⇒16:55日帰り温泉17:30⇒19:00八王子

概算費用                                                 車代 3,300円/人、バス代330円、日帰り温泉 500円                                                                          motoki

伊豆の山と肴と桜

2月23日~24日に10名で南伊豆の長九郎山に行ってきました。

今回はタクシーを利用

車の相乗りより多少割高だが、それほどでもない。車に戻ることもなく縦走ができ、アルコールを飲んだり移動中に寝ることもできる。
長九郎山山頂

展望台に上ると360°見渡せる
雲見温泉から富士山を望む

烏帽子山中腹の浅間神社から海を隔てて富士山が見える
下田の高根山山頂

強風ではあったが快晴で伊豆七島も見渡せた

その後、下田の街でキンメダイの煮つけを味わう
河津桜

寒さの影響で2分咲きぐらい

菜の花もきれいだった
帰りは露天でみかんを買い、小田原では干物の店に立ち寄り快適なハイキングツアーが終わった。

幹事さん、皆さんお疲れ様でした。

高尾の城山

2012年12月27日 高尾の城山 

暮れも迫った27日城山に登った。今年は12月に雨が降りこの2・3日急激に冷え込んだ。こんな時は霜の花が見られる。朝8時日影沢の入口に車を置き林道を登っていく。車止めゲートの手前から城山に直登する小さな道を登ると大きく育った霜の花がそこかしこに・・・・。踏み跡を辿るように城山に上がるとだれもいない山頂からは富士山が見事な姿を見せてくれた。

堀 由美子 記


 

 

紅葉の栗駒山と虎毛山

 10月7日から9日まで栗駒山周辺の山に遊んだ。目指すは栗駒山の紅葉。前夜発の高速バス組と新幹線利用組とが一ノ関で合流し、レンタカーで栗駒山を目指した。先ずは足慣らしにと、その麓に広がる「世界谷地湿性植物園」を通り  前衛峰である大地森への道を歩いた。巨木の混じる豊かなブナの森である。一行は女性4名、男子2名。深い森の中を流れる清浄な空気に包まれて、そこここの林床に踊る茸や、花の終わった野草に目をとめて、森の豊饒に酔った。 写真はできる限り三脚を使用した。茸に焦点を当ててみたが、見ていると美しくもあり、笑いがこみ上げてきそうな楽しさがほの見えて、歩みはいっこうに捗らないのだった。茸はどれも登山道の脇に見つけたものであるが名前は分からない。全くの門外漢なのである。が、その美しさ、奇妙な姿にすっかり魅了されてしまった。その日は約三時間ほどのトレッキングを終えて早めに投宿した。
第1日(10月7日曇天)一関駅9:40⇒11:20世界谷地駐車場11:30→13:10変則十字路13:30→15:10駐車場⇒ホテル泊  第2日(10月8日快晴)ホテル6:00⇒6:30いわかがみ平駐車場6:50→8:20栗駒山頂上(1627m)10:00→11:20東栗駒山11:40→12:45いわかがみ平駐車場13:00⇒16:40秋の宮温泉郷民宿泊
第3日
(10月9日晴れ)民宿5:50⇒6:10小赤倉沢駐車場6:30→7:25渡渉(高巻き)→9:15高松岳分岐9:35→10:25虎毛山頂上(1433m)11:30→12:05分岐12:20一本12:30→14:00駐車場
費 用
:宿泊費20000円・レンタカー及びガソリン代10000円・高速バス代8800円 合計38800円(一人)

深いブナの森の中を私たちはゆっくりと歩いた。
ゆっくり歩いた大地森への道、 深いブナの森のその足元にきのこが顔を見せています  きっと、早足に過ぎてしまえば  頬をなでる森の風しか感じないでしょう  きのこは落ち葉や枯れ木や  瑞々しい緑の苔をしとねに  なにやら踊っているよう
さながらエミール・ガレのかさ。

 
 
 
 
 
 
 
 
   茸が土に還る間際なのだろうか。
  木漏れ日に浮かび上がった苔。
 
   岩を抱く。
   ブナの森の奥深さを表現して見た。
   仲間たち。
   「 ノコンギク(野紺菊)よ」と仲間が教えてくれた。
これでトレッキングは終わった。
   栗駒の朝。 翌朝早くいわかがみ平駐車場へ登る途中で。
   いよいよ栗駒山の登山が始まる。中央コースを登った。これ以上はない秋晴れであった。
  1時間も登ると頂上が見えた。

高く晴れ上がった秋空に  栗駒山の凱歌がこだまするよう  今年の秋のコレクション  オートクチュールをお見せしましょう、と  訪れるものはみな息をのみ心打たれる  今年もありがとう、と
   息を呑むばかり。
 
 
   逆光ぎみで奥行きと脇役を配置して見た。
   秋の陽の透明な光に透かされて。
   仲間たち。
   頂上から望む。
   悠揚迫らぬ遥かな山は鳥海山。
   須川側から。
 
   鳥海山を背景に。
これで、下山を開始した。
   東栗駒山コースを下る。
 
   東栗駒山で。
早めに下山し、秋の宮温泉郷を目指した。車で時間弱を要したがなんとか明るいうちに着くことができた。宿の食事はミズの実やふきなど山菜料理が盛り沢山だった。
   三日目、虎毛山である。
虎毛山は宿から20分ほど戻り、赤倉沢林道入り口からさらに20分ほど沢沿いに遡って駐車場だった。1時間ほど赤倉沢沿いに歩き、渡渉地点に来たが、よく探すと高巻く道が見つかった。ほどなくして急登が始まった。どこまで行っても急登は続いた。
   急斜面にアスナロの林が現れる。アスナロは、杉や檜に似ているが樹皮が殆ど付いていない。ウィキペディアによるとヒノキ科アスナロ属の常緑針葉樹で、一属一種の日本固有種。檜に似ているが枝や葉は数年間枝についている間に、より幅広くなる。含有成分のヒノキチオールは圧倒的に檜より多く、俎板材としては一級品である、とある。また、「明日は檜になろう」という文学的俗説があるが、決して哀れな木ではない。
   夫婦檜を過ぎて。
   ブナの林が現れた。さらに急登が続く。
   2時間後、ようやく稜線上の高松岳分岐に到着。ここで大休止をとる。
   尾根を少し歩くと虎毛山の頂上が見えた。陽が当たるとほのかに赤く染まっているのが見える。しかし、あの頂上まではなお急登が待っていた。
   遠くに避難小屋が見え隠れして頂上は近い。近づくと、なんと小屋が新築されているではないか!事前の下調べでは、台風の直撃を受けて見る影もないほど無残な姿だったが、びっくりである。まだ、工事は完了していないようであるが、見た目は真新しく完成した姿だった。感謝、感謝である。
   栗駒山から雲が湧き出し、寒い風が吹いていた。虎毛山頂上も紅葉していたが、標高が低いためか人の背よりも高い木が多い。
   池塘の周囲は草紅葉だった。PLフィルターを外して撮った。
   紅葉は六分目だろうか。
 中間の稜線に陽が当たるのを待って撮った。
 数パーティの登山者に会ったが、静かな山頂だった。
 山旅はこれで終了。
この山は阪神ファンに大人気なのだそうである。虎の装束で登って来るとか・・・いやはや
 下山後、再び宿に行き温泉に入って一関に戻った。いささか冗長な記事にお付き合いいただきありがとうございます。(佐藤記)

花の栗駒山と南三陸町の旅

 はじめに 

2005年2月、上越地方は「18年豪雪」と命名され「38年豪雪」以来43年ぶりの大雪に見舞われました。前年に起きた大地震で家々が傾き、その上に大雪が積もったのである。家屋の倒壊を少しでも防ぐべく八王子山の会の有志須永、佐藤、唐木、久保田、そして私の男子5名、堀、高橋の女子2名は、雪下ろし隊を結成。数メートルの雪と格闘していました。 雪下ろし作業は、雪の処理に慣れていることはもちろん、雪中での生活においても自己完結が要求されます。この時は、ボランティアセンターに常駐していた私の友人の依頼を受けて参加しました。 昨年の東日本大震災、今度は佐藤氏の縁で5月、5日間という短い日にちでしたが自己完結のもと、佐藤、浅井、元木、内田(佐藤友人)、武藤の各氏と私の6名でボランテァ活動に参加しました。 微々たる活動ではありますが、山を愛するものとして、海も里も野山の草木1本とて大自然の構成物であり広義の山岳自然保護活動として私はとらえている。50年続く会の責任者として、できることもせずにただ指をくわえて見ているわけにはいきません。当会創立者の城所会長、2代目遠藤会長の思いも「立派な社会人、人格者を育成・・」と会
の目的にもあったはずであります。

 今年6月、遅々として進まぬ復興が気になり、再訪するべく佐藤氏と相談、二つ返事でOK。企画し実施していただいたことに感謝したい。  会長 熊谷 博


栗駒山、雲上の稜線へ。

 

 

 7月20日から23日まで、花の名山栗駒山に登り、その後被災地の南三陸町を訪ねた。クルーは6人。そのうち3名は、昨年5月にボランティアに駆けつけたメンバーである。今回はボランティア活動ではないが、被災地の宿に泊まり、被災地でお土産を買い、知り合いを訪ねて耳を傾けつつ、ささやかながら復興の後押しをしようという思いが結集したものだった。 往路は、新宿から夜行バスに揺られて行った。絶えざるエンジン音と振動でまんじりともせず、一関に着いたのは午前6時半ころで、朝の駅は閑散としていた。駅構内で朝食をとりつつレンタカーがオープンするのを待ち、総勢6名がワンボックスカーに納まったのは九時ころであったか。高速バスに比し豪華といって良い快適な車内は明るい笑い声に包まれ、栗駒山へと向かった。どんよりとした空である。この日は無理をせず身体慣らしにと麓にある「世界谷地湿性植物園」をトレッキング。湿原にも山にも色鮮やかな高山植物が輝いていて一同歓声をあげたものだ。辟易するほど花の写真を満載して、 楽しくもほろ苦い旅を思い出しつつ振り返ってみたい。熊谷会長はじめ同行した仲間に深く感謝申し上げます。(写真をクリックすると拡大します。周りを再度クリックすると元に戻ります)  (佐藤)   

 

世界谷地は第一湿原と第二湿原とがあり、尾瀬のように木道 が伸びていて、黄色いキンコウカの群落が清楚な風情を漂わせていた。栗駒山は厚い雲に閉ざされていたが、時おり、雲が上下して麓に伸びる長い稜線を覗かせてくれた。

 
 キンコウカ。
 
 ウツボグサ、色が鮮やかです。

トキソウ。
 
 第一湿原で。6月のニッコウキスゲやミズバショウの開花時にはさぞやと思わせる。
 
 タマガワ(玉川)ホトトギス。薄暗い樹下のそちこちに咲いていて、日本ミツバチが飛び交っていた。
 
 ヤマアジサイ。なんとも色鮮やかなブルー。
 
 栗駒山の麓一体は耕英地区と呼ばれ、宿に向かう途中に廃校となった分校を訪ねた。校舎はガランとしていたが、教室の張り紙や額はそのままだった。子供たちの声は聞こえず、馬とびのある校庭は夏草が生い茂るにまかせていた。
 
校庭の 桜樹の根元にヤマアジサイがひっそりと咲き誇っていた
 
“くりこま荘” での一夜。大ぶりのイワナ一匹がまるごと入った骨酒は酌めど尽きない甘露であった。味噌仕立てのイワナはまた絶品である。
 
宿の 神棚に祀る御幣。東北の人たちは神様にも丁寧なのですね。
 
 翌朝、山崩れの見える方へと歩いて行った。近づくにつれその規模の大きさに圧倒されつつシャッターを切った。目を転じればいたるところに山肌を露わにした崖地が見える。この土砂の下に旅館一軒が飲み込まれたのです。東北大震災の二年前のことでした。われわれの投宿した宿は、ここからいくらも離れていなかったが、大きな被害は免れたそうです。
 
“ 岩手・宮城内陸地震”の鎮魂の碑はま新しかった。
 
 宿を出て“いわかがみ平”駐車場まで車で行き、いよいよ栗駒山の登山が始まった。登りは中央コースをとったが薄暗い曇天であった。道のそばにはさまざまな花が咲いて絶えず目を楽しませてくれた。
 
 両方ともヒナザクラでしょうか?
 
 宴のあと?
 
 「これはなに?」と仲間が立ち止まった。ギンリョウソウが厚い腐葉土を押しのけて頭をもち上げていた。頭上はこのころから青空となり、太陽の日差しが熱くなった。雲の上に抜け出ました。
 
 稜線に出て一休み。まわりは低木となり、雄大な栗駒山が広がっていた。なんと素晴らしいことか!
 
 栗駒山。頂上へは右の稜線沿いを歩きます。
 
 ハクサンチドリ。
 

 これはなんという花か?日本ミツバチが忙しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

  栗駒山頂上。

 
 花を求めて、あの雪田に近づきたいと稜線をたどったが無理だった。
 
 石楠花が陽を浴びている。
 
 これもハクサン石楠花か。
 
 左の登山道をたどり右下へ下ると秋田県の須川温泉方面に行き着く。雲の上遥か遠くに鳥海山が見えた。
 
 ヒナザクラの一種でしょうか、 懸命に咲く姿がまぶしい。
 
 ノアザミに蝶が群れていた。
 
 これはなんと言ったか?シシウドよりも小ぶりです。
 
 そここにウラジロヨウラクが。
 
帰りは東栗駒コースを下った。雪が消えて直ぐに咲き出したのだろうか。周辺にはたくさんの花が陽をあびていた。これもヒナザクラの一種で。

コイワカガミの群落が。

 

 
 イワイチョウでしょうか。
 
ヤマリンドウが淡い色でした。 
 

 アオノツガザクラ。雪田周辺に見られる代表的なもの一つです

 
 ワタスゲが風に吹かれています。風に乗って遠くへと種子を飛ばすのでしょう。
 
 栗駒山を振り返る。
 
 東栗駒山頂で。涼しい風が吹き渡っていた。
 
 東栗駒コースは一度だけこのような流れを渡る。やがて、登山口に戻った。
 
 楽しかった栗駒山を後にして、車は一関に出、一関街道から本吉街道へと一路志津川湾を目指した(約二時間半)。静かな山間の道を行くと、突如、風景が一変して息をのんだ。杉並が茶色に変色している。あそこまで津波が押し寄せたのだとはっきりと分かる。家並みは消えてしまい、コンクリートの土台のみが続いていた。ここに家が建っていたと、夏草や場違いの花が風に揺れて誰に言うともなく話しているのだった。きっと庭先で咲いていたものであろう。途中、歌津地区の復興市場を見つけたので立ち寄った。仲間はお土産を買い、宅急便で送った。熊谷さんは「絆」という文字を背中に染め抜いたTシャツを見つけ、早速身に着けて颯爽と宿へと向かった。今宵の宿は歌津崎である。

宿は岬の高台にあった。宿の駐車場はこの道路の右側1メートル下にあるが、津波はそこまで到達したのだと女将が話していました。長いこと避難所となっていて、宿として再スタートしたのは今年になってからなのだそうだ。今は復旧・復興をになう人たちが大勢泊まっている。或るグループは、気仙沼の焼却場建設の現場に通っており、九州から来ていると語っていました。私たちは温泉に浸かり、窓辺に寄って明日の計画を練った。昨年五月にボランティア活動をしたお寺への捧げものを何にするかについて悩んだ。幸い住職と連絡が取れ一時間ほどの時間を割いていただけるという。夕食は、趣が変わって海の幸と地酒だった。とりわけ、女将の顔が刷り込まれた湯飲み茶碗で飲むお茶は格別だった。写真の顔は確かに美人だったのだ。

 
 翌朝、海へ行ってみようと宿から歩き出すと、すぐ隣に小さな仮設住宅があった。酒焼けしたお爺さんが道路に出て立っていた。挨拶をしてその後何を話せばよいか困った。私は海へと向かった。
 

 空は重く、海は少ししけていた。浜へ下りてカメラを向けていると、仲間の姿が見えてほっとした。一人では怖かったのである。

 


大きな家。この家のお婆ちゃんだろうか、家の前に所在無げに足を投げ出していた。大津波は二階の窓を破った。

 新築されたあさひ幼稚園。サッカージャパン代表の長谷部選手ゆかりのあの幼稚園である。訪ねた日は消防の検査中で中を覗くことは叶わなかった。しかし、巨大な杉の柱が何本も使われている豪壮なものであることは下から見ても十分偲ぶことができた。昨年五月にボランティア活動で来たときに、志津川の浜近くで杉の巨木が横たわっていた。杉は引き波によって遥か上流から流されてきて道路を塞いでいたのである。年輪に刻まれた傷を数えると過去の大津波の記録とピタリと一致していたことに改めて驚いたものである。その記録は当HPに詳しいが、津波で傷めつけられた大雄寺(だいおうじ)の杉並木はあらかた立ち枯れてしまった。が、未曾有の大津波を長く後世に語り継ぐために、その巨木を使ってこの幼稚園は建てられたのである。場所は、この町の復旧の拠点となったベイサイドアリーナの近くで、再生する町並みのシンボルともなるものだという。

 懐かしの西光寺仮本堂(歌津地区)。再会したご住職は温かく迎えてくれました。昨年、ボランティアでお手伝いをしたときには、流された本堂が右遠方にあり、手前の境内や駐車場は瓦礫にあふれていたものでした。この仮本堂は、あの大津波の僅か二ヶ月後に建築されたと言われるが、まずその速さに驚く。アメリカの慈善団体フリーメースンの寄進によるという。白覆面のあの団体である。

 仮本堂が完成し、いざ記念撮影という時になって、団体の代表は撮影を拒んだと言う。住職は説得を試みたが、ならば覆面を被ると主張。しかし、住職は熱意と心を説き、ついに代表は住職の意見を入れて覆面を取り写真に納まることに同意したと言う。国外では初めてという事件に報道機関も大勢取材に押しかけたといいます。中央が住職。

 津波到達地点に植樹された桜。この支援には当会の元木さんが関わった。

 大津波はこの緑のフェンスの半ばくらいまで押し寄せた。住職はみぞれ混じりの中を、お年寄りを乗せた車椅子を懸命に押してこの坂を登り難を逃れていったのだと思い返していました。

 われわれが掘り出したお地蔵さまが夏の日差しを浴びていました。この台座の上には新しい観音さまが立っておられました。

 志津川の町へ。防災対策庁舎前には献花が絶えることなく、私たちもまた深く合掌しました。この庁舎の屋上で、三十数名の命が波もろともに消え去ったのです。

 町立志津川病院はあらかた壊されていました。ここでは五十数名の命が浚われたのです。

ここに 志津川の町はあった。

 海沿いの集積場は巨大な山となり、昨年の数倍の規模となっていました。

 


津波のすさまじさにあらためて震える。

 志津川の復興市場。手前はイベント広場。小さな町と言ってよいほどの規模だ。私たちは一軒の店に入り、海鮮の昼食をとった。カウンターには「南三陸復興の酒」と大書したラベルの一升瓶が鎮座していた。気になって聞いてみると、そこの酒屋で売っているよというので、酒屋に入った。ご婦人がレジの前で「いらっしゃいませ」と迎えてくれた。酒を宅急便で送りたいのだがと聞くと「大丈夫です」と快く紙を出してくれた。目の前で住所を書いていると「アラ、横浜の…さん?じゃあ、あの時のお兄さんですか?」と叫ぶ。そこにもう一人店のご婦人がやって来て大騒ぎとなった。「あの時は、早々と駆けつけていただいて…」と涙ながらに感謝されるのだった。われわれも感激して涙ぐんだ。帰りには地元名産のお土産までいただいた。私はまさか、知人にここで会おうとは思いもしなかった…帰り道、どうか、どうか、元気を出してください、と祈らずにいられなかった。(熊谷氏撮影)

 

  7月21日

 7月21日 8時15分 くりこま荘 ⇒ 8時30 イワカガミ平駐車場8:38分 → 9:25稜線9:40 → 10:10栗駒山 昼食11:30 → 12:30東栗駒山12:40 → 13:50レストハウス → 14:00イワカガミ平駐車場(荻野さん記録)

 長い記事にお付き合いいただきありがとうございます。また、熊谷会長に「はじめに」の言葉を寄せていただき感謝申し上げます。