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花の栗駒山と南三陸町の旅

 はじめに 

2005年2月、上越地方は「18年豪雪」と命名され「38年豪雪」以来43年ぶりの大雪に見舞われました。前年に起きた大地震で家々が傾き、その上に大雪が積もったのである。家屋の倒壊を少しでも防ぐべく八王子山の会の有志須永、佐藤、唐木、久保田、そして私の男子5名、堀、高橋の女子2名は、雪下ろし隊を結成。数メートルの雪と格闘していました。 雪下ろし作業は、雪の処理に慣れていることはもちろん、雪中での生活においても自己完結が要求されます。この時は、ボランティアセンターに常駐していた私の友人の依頼を受けて参加しました。 昨年の東日本大震災、今度は佐藤氏の縁で5月、5日間という短い日にちでしたが自己完結のもと、佐藤、浅井、元木、内田(佐藤友人)、武藤の各氏と私の6名でボランテァ活動に参加しました。 微々たる活動ではありますが、山を愛するものとして、海も里も野山の草木1本とて大自然の構成物であり広義の山岳自然保護活動として私はとらえている。50年続く会の責任者として、できることもせずにただ指をくわえて見ているわけにはいきません。当会創立者の城所会長、2代目遠藤会長の思いも「立派な社会人、人格者を育成・・」と会
の目的にもあったはずであります。

 今年6月、遅々として進まぬ復興が気になり、再訪するべく佐藤氏と相談、二つ返事でOK。企画し実施していただいたことに感謝したい。  会長 熊谷 博


栗駒山、雲上の稜線へ。

 

 

 7月20日から23日まで、花の名山栗駒山に登り、その後被災地の南三陸町を訪ねた。クルーは6人。そのうち3名は、昨年5月にボランティアに駆けつけたメンバーである。今回はボランティア活動ではないが、被災地の宿に泊まり、被災地でお土産を買い、知り合いを訪ねて耳を傾けつつ、ささやかながら復興の後押しをしようという思いが結集したものだった。 往路は、新宿から夜行バスに揺られて行った。絶えざるエンジン音と振動でまんじりともせず、一関に着いたのは午前6時半ころで、朝の駅は閑散としていた。駅構内で朝食をとりつつレンタカーがオープンするのを待ち、総勢6名がワンボックスカーに納まったのは九時ころであったか。高速バスに比し豪華といって良い快適な車内は明るい笑い声に包まれ、栗駒山へと向かった。どんよりとした空である。この日は無理をせず身体慣らしにと麓にある「世界谷地湿性植物園」をトレッキング。湿原にも山にも色鮮やかな高山植物が輝いていて一同歓声をあげたものだ。辟易するほど花の写真を満載して、 楽しくもほろ苦い旅を思い出しつつ振り返ってみたい。熊谷会長はじめ同行した仲間に深く感謝申し上げます。(写真をクリックすると拡大します。周りを再度クリックすると元に戻ります)  (佐藤)   

 

世界谷地は第一湿原と第二湿原とがあり、尾瀬のように木道 が伸びていて、黄色いキンコウカの群落が清楚な風情を漂わせていた。栗駒山は厚い雲に閉ざされていたが、時おり、雲が上下して麓に伸びる長い稜線を覗かせてくれた。

 
 キンコウカ。
 
 ウツボグサ、色が鮮やかです。

トキソウ。
 
 第一湿原で。6月のニッコウキスゲやミズバショウの開花時にはさぞやと思わせる。
 
 タマガワ(玉川)ホトトギス。薄暗い樹下のそちこちに咲いていて、日本ミツバチが飛び交っていた。
 
 ヤマアジサイ。なんとも色鮮やかなブルー。
 
 栗駒山の麓一体は耕英地区と呼ばれ、宿に向かう途中に廃校となった分校を訪ねた。校舎はガランとしていたが、教室の張り紙や額はそのままだった。子供たちの声は聞こえず、馬とびのある校庭は夏草が生い茂るにまかせていた。
 
校庭の 桜樹の根元にヤマアジサイがひっそりと咲き誇っていた
 
“くりこま荘” での一夜。大ぶりのイワナ一匹がまるごと入った骨酒は酌めど尽きない甘露であった。味噌仕立てのイワナはまた絶品である。
 
宿の 神棚に祀る御幣。東北の人たちは神様にも丁寧なのですね。
 
 翌朝、山崩れの見える方へと歩いて行った。近づくにつれその規模の大きさに圧倒されつつシャッターを切った。目を転じればいたるところに山肌を露わにした崖地が見える。この土砂の下に旅館一軒が飲み込まれたのです。東北大震災の二年前のことでした。われわれの投宿した宿は、ここからいくらも離れていなかったが、大きな被害は免れたそうです。
 
“ 岩手・宮城内陸地震”の鎮魂の碑はま新しかった。
 
 宿を出て“いわかがみ平”駐車場まで車で行き、いよいよ栗駒山の登山が始まった。登りは中央コースをとったが薄暗い曇天であった。道のそばにはさまざまな花が咲いて絶えず目を楽しませてくれた。
 
 両方ともヒナザクラでしょうか?
 
 宴のあと?
 
 「これはなに?」と仲間が立ち止まった。ギンリョウソウが厚い腐葉土を押しのけて頭をもち上げていた。頭上はこのころから青空となり、太陽の日差しが熱くなった。雲の上に抜け出ました。
 
 稜線に出て一休み。まわりは低木となり、雄大な栗駒山が広がっていた。なんと素晴らしいことか!
 
 栗駒山。頂上へは右の稜線沿いを歩きます。
 
 ハクサンチドリ。
 

 これはなんという花か?日本ミツバチが忙しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

  栗駒山頂上。

 
 花を求めて、あの雪田に近づきたいと稜線をたどったが無理だった。
 
 石楠花が陽を浴びている。
 
 これもハクサン石楠花か。
 
 左の登山道をたどり右下へ下ると秋田県の須川温泉方面に行き着く。雲の上遥か遠くに鳥海山が見えた。
 
 ヒナザクラの一種でしょうか、 懸命に咲く姿がまぶしい。
 
 ノアザミに蝶が群れていた。
 
 これはなんと言ったか?シシウドよりも小ぶりです。
 
 そここにウラジロヨウラクが。
 
帰りは東栗駒コースを下った。雪が消えて直ぐに咲き出したのだろうか。周辺にはたくさんの花が陽をあびていた。これもヒナザクラの一種で。

コイワカガミの群落が。

 

 
 イワイチョウでしょうか。
 
ヤマリンドウが淡い色でした。 
 

 アオノツガザクラ。雪田周辺に見られる代表的なもの一つです

 
 ワタスゲが風に吹かれています。風に乗って遠くへと種子を飛ばすのでしょう。
 
 栗駒山を振り返る。
 
 東栗駒山頂で。涼しい風が吹き渡っていた。
 
 東栗駒コースは一度だけこのような流れを渡る。やがて、登山口に戻った。
 
 楽しかった栗駒山を後にして、車は一関に出、一関街道から本吉街道へと一路志津川湾を目指した(約二時間半)。静かな山間の道を行くと、突如、風景が一変して息をのんだ。杉並が茶色に変色している。あそこまで津波が押し寄せたのだとはっきりと分かる。家並みは消えてしまい、コンクリートの土台のみが続いていた。ここに家が建っていたと、夏草や場違いの花が風に揺れて誰に言うともなく話しているのだった。きっと庭先で咲いていたものであろう。途中、歌津地区の復興市場を見つけたので立ち寄った。仲間はお土産を買い、宅急便で送った。熊谷さんは「絆」という文字を背中に染め抜いたTシャツを見つけ、早速身に着けて颯爽と宿へと向かった。今宵の宿は歌津崎である。

宿は岬の高台にあった。宿の駐車場はこの道路の右側1メートル下にあるが、津波はそこまで到達したのだと女将が話していました。長いこと避難所となっていて、宿として再スタートしたのは今年になってからなのだそうだ。今は復旧・復興をになう人たちが大勢泊まっている。或るグループは、気仙沼の焼却場建設の現場に通っており、九州から来ていると語っていました。私たちは温泉に浸かり、窓辺に寄って明日の計画を練った。昨年五月にボランティア活動をしたお寺への捧げものを何にするかについて悩んだ。幸い住職と連絡が取れ一時間ほどの時間を割いていただけるという。夕食は、趣が変わって海の幸と地酒だった。とりわけ、女将の顔が刷り込まれた湯飲み茶碗で飲むお茶は格別だった。写真の顔は確かに美人だったのだ。

 
 翌朝、海へ行ってみようと宿から歩き出すと、すぐ隣に小さな仮設住宅があった。酒焼けしたお爺さんが道路に出て立っていた。挨拶をしてその後何を話せばよいか困った。私は海へと向かった。
 

 空は重く、海は少ししけていた。浜へ下りてカメラを向けていると、仲間の姿が見えてほっとした。一人では怖かったのである。

 


大きな家。この家のお婆ちゃんだろうか、家の前に所在無げに足を投げ出していた。大津波は二階の窓を破った。

 新築されたあさひ幼稚園。サッカージャパン代表の長谷部選手ゆかりのあの幼稚園である。訪ねた日は消防の検査中で中を覗くことは叶わなかった。しかし、巨大な杉の柱が何本も使われている豪壮なものであることは下から見ても十分偲ぶことができた。昨年五月にボランティア活動で来たときに、志津川の浜近くで杉の巨木が横たわっていた。杉は引き波によって遥か上流から流されてきて道路を塞いでいたのである。年輪に刻まれた傷を数えると過去の大津波の記録とピタリと一致していたことに改めて驚いたものである。その記録は当HPに詳しいが、津波で傷めつけられた大雄寺(だいおうじ)の杉並木はあらかた立ち枯れてしまった。が、未曾有の大津波を長く後世に語り継ぐために、その巨木を使ってこの幼稚園は建てられたのである。場所は、この町の復旧の拠点となったベイサイドアリーナの近くで、再生する町並みのシンボルともなるものだという。

 懐かしの西光寺仮本堂(歌津地区)。再会したご住職は温かく迎えてくれました。昨年、ボランティアでお手伝いをしたときには、流された本堂が右遠方にあり、手前の境内や駐車場は瓦礫にあふれていたものでした。この仮本堂は、あの大津波の僅か二ヶ月後に建築されたと言われるが、まずその速さに驚く。アメリカの慈善団体フリーメースンの寄進によるという。白覆面のあの団体である。

 仮本堂が完成し、いざ記念撮影という時になって、団体の代表は撮影を拒んだと言う。住職は説得を試みたが、ならば覆面を被ると主張。しかし、住職は熱意と心を説き、ついに代表は住職の意見を入れて覆面を取り写真に納まることに同意したと言う。国外では初めてという事件に報道機関も大勢取材に押しかけたといいます。中央が住職。

 津波到達地点に植樹された桜。この支援には当会の元木さんが関わった。

 大津波はこの緑のフェンスの半ばくらいまで押し寄せた。住職はみぞれ混じりの中を、お年寄りを乗せた車椅子を懸命に押してこの坂を登り難を逃れていったのだと思い返していました。

 われわれが掘り出したお地蔵さまが夏の日差しを浴びていました。この台座の上には新しい観音さまが立っておられました。

 志津川の町へ。防災対策庁舎前には献花が絶えることなく、私たちもまた深く合掌しました。この庁舎の屋上で、三十数名の命が波もろともに消え去ったのです。

 町立志津川病院はあらかた壊されていました。ここでは五十数名の命が浚われたのです。

ここに 志津川の町はあった。

 海沿いの集積場は巨大な山となり、昨年の数倍の規模となっていました。

 


津波のすさまじさにあらためて震える。

 志津川の復興市場。手前はイベント広場。小さな町と言ってよいほどの規模だ。私たちは一軒の店に入り、海鮮の昼食をとった。カウンターには「南三陸復興の酒」と大書したラベルの一升瓶が鎮座していた。気になって聞いてみると、そこの酒屋で売っているよというので、酒屋に入った。ご婦人がレジの前で「いらっしゃいませ」と迎えてくれた。酒を宅急便で送りたいのだがと聞くと「大丈夫です」と快く紙を出してくれた。目の前で住所を書いていると「アラ、横浜の…さん?じゃあ、あの時のお兄さんですか?」と叫ぶ。そこにもう一人店のご婦人がやって来て大騒ぎとなった。「あの時は、早々と駆けつけていただいて…」と涙ながらに感謝されるのだった。われわれも感激して涙ぐんだ。帰りには地元名産のお土産までいただいた。私はまさか、知人にここで会おうとは思いもしなかった…帰り道、どうか、どうか、元気を出してください、と祈らずにいられなかった。(熊谷氏撮影)

 

  7月21日

 7月21日 8時15分 くりこま荘 ⇒ 8時30 イワカガミ平駐車場8:38分 → 9:25稜線9:40 → 10:10栗駒山 昼食11:30 → 12:30東栗駒山12:40 → 13:50レストハウス → 14:00イワカガミ平駐車場(荻野さん記録)

 長い記事にお付き合いいただきありがとうございます。また、熊谷会長に「はじめに」の言葉を寄せていただき感謝申し上げます。

 

 



 

山の会OB会、利尻、礼文島に遊ぶ

 7月14日~17日、昨年30周年記念として企画したが大震災の関係で蔵王山慰霊登山とし、今年度実施となった。

30数年前、現役を退いた気の合う会員に一人ひとり呼びかけ年に一度日本中の山と温泉を楽しんでいます。

青春時代、同じ釜の飯を食べ、風雪の中で戦った仲間、ザイルを結んだ仲間は忘れられないものがあります。

行き掛り上私は世話人マネージャー役を務め30数年になります。

 

 羽田フライト9時5分、好天の稚内に到着です。

 羽田フライト1番機で11時10分稚内着、早速手配済のレンタカー

にて宗谷岬、ノシャップ岬に立ち寄り、楽しみの昼食は「樺太食堂」にて

豪華に3000円の3色うにどんぶりだ。

 

 稚内港よりフェリーにて宿の出迎えを受けるが利尻岳の美しさに思わず・・。

明日の好天を約束してくれました。

 15日早朝、宿に登山口まで送っていただきました。すでに40人以上がいる中

4時10分身支度を整いて出発

 6合目、順調に足を進めるまだまだ先は長いが気温が低いため汗をかかず登りやすい。

17^18度ぐらいだろうか

 山頂もまもなくだ。メンバーの娘さん、本格的な登山ははじめて、今日のために

用具一式をそろいたとのこと。なかなか似合う。

 土がもろく不安定な最後ののぼりだ。ぞくぞくと登山者が来る

 順調に山頂着、九時四〇分、ローソク岩、奇岩だ

山頂はいっぱい。最高の展望だ

 登山者らしからぬ恰好の仲間がいるが三〇数年前の当会の岩登り、冬山合宿のリーダーだ。

当時まだ一般的でなかった剣岳三の窓、八つ峰などを共に歩いた仲間だ。

初心者、年に1回の登山、ピースメーカー装着者などいるがみんなで山頂まで来れてとてもうれしい

 下山は登りの人に道を譲りながら下るが慎重に、振り返ると渋滞だ

 メンバーの一人が足を痛めたため、3人で10分交代1時間30分、ようやく下山だ。

毎年11月実施の訓練の大切さをあらためて感じた。

夕食はうに、いくらを中心とした海の幸を美味しくいただいた。メンバーとの語らいが

こんな時一番幸せだ。なにしろもう40年のつき合いで兄弟以上だ

 16日、私たち5人は礼文岳、3名は桃岩周辺ハイキング、こちらは「北のカナリア」の

映画撮影で吉永小百合、柴田恭平らを見たとのこと、柴田恭平は帰りの船で一緒だった。

礼文岳へはゆったりとした登りで笹、ダケカンバが続く

 山頂はまもなくだ。登山者は少なく10人ほどだ
 バックは昨日登った利尻岳。来てからずっとこのような好天だ
 17日、宿前のうみにてコンブ漁を見ることができた
 礼文島とのお別れ、このような光景をみるのは久しぶりだ

 最上階の1等ラウンジにて乗船、優雅にゆったり、まったりと船旅を楽しみ

稚内着

 メンバーもみんな満足

費用―飛行機70000 民宿3泊35000 フェリー8500

 レンタカー2000 昼食他9000 保険1500  合計125000

毎年山と温泉を訪ね、他新年顔合わせや仲間に何かあれば

すぐちからになり集まってくれる。気の合う仲間だけに信頼に

結ばれており本当に楽しい仲間たちだ。

17名、これからも続けていきたいと思っている。

         会長  熊谷 博

 

 

タクシーにて 稚内市内見学後料理屋にて海の料理をごちそうになり、今回の

楽しい思い出を語ります。再会を約束して・・・・。

八王子・八峰登山を山ガールと共に

例年今の時期、八王子市、八王子市山岳連盟主催で開催される「八峰登山大会」が昨年の大震災をきっかけに中止となってしまったが新緑を全身で浴びながらの耐久トレーニングにはもってこいのコースであろう。久々に娘を同行させ、19日(土)早朝タクシーを呼び今熊神社の鳥居をくぐった。自宅5時30分発、50分着料金4000円、快晴の中もちろんいるのは私達だけだ。

  市道山山頂、当会担当の場所だいろいろな思い出も多い
  新緑が正に眩いばかりだ
  八峰中この周辺のコースが一番素晴らしい、登山道も美しい
  陣馬山山頂、ハイカーが200人ぐらいはいようか?若い人(20代~30代)が半分以上だ、女性も6割ぐらい。もちろんファッションに身を固めた山ガールがグループで目を引きます。八王子山の会にもいつかは・・・。
  景信山山頂、ここは何と言っても山菜のてんぷらがごちそうだ。娘と共にビールと共に乾杯!


コースタイム    今熊山登山口5:50-今熊山6:20-刈寄山7:23-市道山9:28-醍醐丸10:54-陣馬山11:54-景信山13:54-八王子城山15:50-高尾山16:55-京王高尾山口18:25

会長  熊谷 博
高尾山頂もう5時近い時間、ひともまばらだ.

城山あたりから娘は足の痛みを訴えていたが京王高尾山口まで歩いた。すでに午後6時25分になっていた

陽だまりを求めて・・・冬枯れの《棚山》へ

218日(土曜日)に山梨県笛吹市と山梨市との境界、奥秩父山地の南西部に位置する、標高1,171m「棚山」(たなやま)に、9名で陽だまりを求めて登ってきました。

「棚山は山梨百名山にも数えられていない甲州のマイナーな山です。

 今回は、露天風呂から眺める絶景が有名になり、全国各地から人が訪れるという〈ほったらかし温泉〉から入りました。 登りは《山の神コース》、下りは《重ね石コース》というルートを取りましたが、登山者の少ない静かな山でした。 地図にルートも示されていませんでしたが、道標やピンクのリボンそして危険個所にはトラロープも張られ、登山道は良く整備されておりました。

少し風があるものの快晴に恵まれ、山頂からの素晴らしい眺望を期待しながら、胸を膨らませて先を急いだのですが、頂上に着く頃には富士も鳳凰三山も北岳も甲斐駒・・・山頂付近が薄雲に覆われ・・・、少し心残りもありましたが、山頂で美味しい「きのこ汁」を腹一杯頂き、みな大満足で下山し、最後はかの有名な『ほったらかし温泉』で富士の雄大な姿を堪能して、楽しい一日が終わりました。


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「ほったらかし温泉」駐車場から見る「富士山」!
雲一つなく、素晴らしい山行の予感が・・・。
2012.02.18 8:25

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登山口付近から見る《棚山》標高1,170m
冷たい風が頬をさすものの、何処までも続く青空に絶好の“陽だまりハイク”が楽しめそうな予感が・・・!
「ほったらかし温泉」(標高680)を8:44に出発する。
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「重ね石ルートの合流点」への登り。
この日一番の急登に、自然と間隔も開く!
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「ほったらかし温泉」を出発してから約2時間、
10:33に棚山山頂(標高1,170m)に全員無事に到着!
笑顔で「はい、チーズ・・・!」
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昼食は今回の山行のもう一つの主役である「きのこ汁」の登場!
地元に居住するWさん手作りの椎茸やシメジ、まいたけ・・・それにこれまた地元産のお豆腐とうす揚げなど、具沢山の「きのこ汁」にみな舌鼓を打つ
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冷たい風を避けながら、陽だまりでしばしの休息。
実は、きのこ汁を腹一杯頂き過ぎ、動くのも億劫なのだが・・・!
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山頂から鳳凰三山を望む。
北岳、甲斐駒は雪雲に覆われ姿を見ることは出来なかった・・・!
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樹間から見えた富士山も、いつの間にか山頂付近が雲で覆われてしまった。
残念な気持ちを胸いっぱいに、11:43、山頂を出発!
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「前こぶ」標高1,104付近で!
バックに見える姿の良い山が《棚山》

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《山梨百名山》の一つに数えられている「兜山」を望む。
指呼の距離だ・・・!
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何とも不思議な「重ね石」!
『何方かこの石の由来を教えて下さいなぁ~・・・』
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ようやく厳しい下りも終わり、ホッと一息。
途中、贅沢な“ティタイム”を取り、13:30に「ほったらかし温泉」に戻る。
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「ほったらかし温泉」の露天風呂から望む「富士山」
まことに贅沢な、勿体ないような一日であった・・・・。
                    おわり!
山行データ
・全歩程:約7km  ・標高差:490m  
・行動時間:4hr45min (実行動時間3hr10min
・コースタイム
 8:25ほったらかし温泉駐車場(標高680m8:44――――9:20重ね石ルート分岐―――9:34山の神―――10:25重ね石ルート合流(標高1,125m)―――――10:33棚山(標高1,170m《昼食》11:43―――――11:51前こぶ(標高1,114)――――12:05重ね石(標高 1,004m)――――12:25山の神ルート合流――――12:44登山口《ティタイム》13:12――――13:30ほったらかし温泉15:10                                                
                以上 記 元木 義隆

杣添尾根

7月9日横岳の杣添尾根に登った。山の天気が心配だ。8時45分登り始める。  
1 杣添沢北沢清涼感を感じる。
2 Nちゃんも出だしは元気だ。
3 キツイ登りが始まる
4 小休止
5 Nちゃんも背負子の世話になる
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7 主尾根もまじかだが落雷発生
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10 12時40分尾根の分岐に到着する。落雷と雨が激しくなってきたのでお花畑を急いで見て下山した。横岳に行けず残念だった。15時登山口に戻る。 記 ACHAN