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山の会山行の楽しさここにあり・継承を!

12月の第一土日曜日の忘年山行、会恒例行事として実施するようになって17~18年ぐらいだろうかすっかり定着した。山域はもちろん宿泊宿、内容も毎年変え変化も求めてきました。

 

  今年も予定通り12月1~2日、奥多摩の山としコースは自由に、宿泊はバンガローとし当日参加も可となり合計30名と今までにない参加者にバンガローは夜遅くまで熱気に包まれていました。


健脚コースは五日市から入り大岳山~鋸尾根へ、楽なコースは?奥多摩湖までのむかし道、鳩ノ巣渓谷歩き、私たち6名はバンガローに車を置き鋸山から山頂、天地山経由でバンガローに戻るコースだ。

 名のとおりやせ尾根、鎖場もある


寒いさむいと思っていたらいつの間にか雪・・・・・。

山頂、それでも3~4パーティ15人ぐらいいただろうか、寒いのでゆっくり休んでもいられない。

大岳コースのメンバーと携帯がつながり今山頂より下ったとのこと、順調だ。ひと安心する。


天地山コースは表示は行き止まりとなっている。当然道ははっきりしないところもあるがやせ尾根、通常なら迷わない、それに私はこんなところが好きだし毎年の研修が生かされるはずだ。なによりも完璧なのはM氏はJPSを完全に使いこなしている。

ルートを読み込ませ道を間違えたら警告音を鳴らしてくれるのだ。これからの山登りの上級レベルは最近の山道具の様々なアイテムはもちろん多少難しい文明の機器など使いこなすことができなければ一人前の登山者として認められないかもしれない。なんでも一人前とは大変です。


天地山山頂、雪もすっかり止み晴れ間が出てきた。奥多摩の街も見ることができます

予定通りバンガローには集合時間の3時30分着、なんとすでに大勢いるではないか?もう1時すぐから待っている人もいる。早すぎる。


パーティ開始は5時予定であったが多くのメンバーは待ちきれず早めろと、4時30分より飲み始め

7時ごろには全員集合あらためて乾杯だ。    (バンガロー内写真撮影は元木氏)


今回準備担当は食料買いだし、会装備のなべなどを持ち込みだ。

会友の参加や、夜だけの参加者もいたが楽しい忘年山行となり御礼を述べさせていただいた

席がいっぱい、近親感があってよいかもしれない


さわやかな朝、氷川バンガローでは一番大きいバンガローで35人用、丁度良かった。

朝食を済ませ、帰る人もいるが今日は本仁田山へハイキングだ。


本仁田山山頂、寒いのでゆっくり休んでもいられない

急坂だが落ち葉を踏みながらの登山道も今の季節だけだ。メンバーはそれぞれ1年を振り返り思いおもいに下山しているのだろう。ずっと話し声と笑いがあった。I氏は病み上がりでもありましたがほぼ完全復帰できた。仲間としてこんなにうれしいことはない。

予定通り1時過ぎ奥多摩駅到着、ここで一応解散、それぞれ車、電車にて明るいうちに八王子に帰った。

 

 十分に目的を達することができた有意義な2日間でした。準備に関わったすべての関係者、会友の参加者、又当日だけでも参加としてくれたメンバーそれぞれにあらためて感謝したい、会は当然、企画者、担当者はいつも楽しく、喜んでもらえるようにと苦労しています。会員の心もちひとつで会はまた変わります。次回の全員集合は新しい年、新春山話会となります。

 年内まだ山話会が2回、役員会が1回、数回の山行計画があります。すでに寒波が列島に入り来年は雪が多そうな気がします。健康管理、安全登山への心構えはもちろん体力への過自信などもってのほか、多くの事故例が物語っています。

「陸続きのどんな高い山に登っても難しい岩を登ってもそのことにどんな意味があるのか、それよりも私たちは多くの仲間たちと安全でより楽しい登山をすることが真髄である」と創立者の城所氏は53年前に有志と立ち上げた会です。今でこそ納得理解する人もいでるしょうが当時は命知らず、山で死ぬのは本望など広言する人はざら、そんなの山男でないとか、メンバー間の口論などしょっちゅうとか、私が入会時は顧問でした。18歳年上でしたが可愛がっていただき山話会の帰りに喫茶店でよく話を聞かせていただきました。もちろんそれらの考えに異論もありましょうしすべてではありません。しかし創立より現在の長きに渡り兄弟会・新八王子山の会と共に地元山岳会の双璧として60名以上の会員を有し他の追随を許さず活動を続けているのも事実であります。その言葉の数々をよく十分に理解できたのは結婚、独立後しばらくたち再び会活動に関わった40歳ぐらいかもしれません。つまり先人は50年先を読み存続を願い、それらを見据えて会づくりを実現されたのです。

     会長  熊谷 博

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